2021年 6月27日 偉大なサックス奏者"土岐英史"氏の訃報を聞いた。 僕の師であり最も尊敬するミュージシャンだ。
土岐さんと初めて会ったのは大阪音大での授業だった。ジャズを本格的に学びたいと思っていた僕には目から鱗の様な内容で、土岐さん本人の印象もアニメのキャラクターみたいで非常に楽しかったのを覚えている。その年の夏に初めて土岐さんのライブに行った。京都LIVE SPOT RAGでの3DAYS すべてが衝撃的だった。
1日目のリーダーカルテットでの凄まじいジャズ、2日目のファンキーでポップなライブ、3日目は3アルトで破壊力抜群のメンバーと爆発した演奏を繰り広げていた。どのライブも終演後の打ち上げはベロベロになりながらも熱く音楽の話をして、夜が明けてからホテルに戻っていく3日間。バケモンでした 笑
ただそれが本当に楽しくて、それから数年間、僕の夏の風物詩になっていた。
それがきっかけで色んな人を紹介してもらったりして、僕の音楽活動の幅は間違いなく広がっていった。
その後やりたい事が大学の方向とそぐわなくなり、一旦休学した。 休学して色々迷っていた時に土岐塾(音大OBによる土岐さんのレッスン会)に誘ってもらい本格的に土岐さんに師事した。 大学の授業とは比べ物にならないくらいの情報量のレッスンで、毎月大変だったのだけど、しっかり課題をやっていった時の土岐さんは凄く褒めてくれて、レッスン後の音楽業界の話やボヤキも含めかけがえのない楽しい時間だった。
当時めちゃくちゃな事ばっかりやっていた僕を『面白いヤツやな、ガハハハ〜』って言いながら受け入れてくれた。その懐の大きな人柄と音楽が一時期の僕の心の支え、本当に大好きだった。
関西でライブがあればどんなライブも行ったし、なんなら横浜までライブを見に行ったときもあった(お金がなかったのでヒッチハイクで横浜まで行った) どんな時も変わらず受け入れてくれて、金魚のフンのようについてまわっていた。
少し演奏の実力が付いてきたある日、土岐さんが夏の3DAYSでもう一日ライブをやるから出ないかと声をかけてもらった。即答で『出ます!』 ベースは土岐さんのカルテットのレギュラーベーシストの坂井紅介さん。そして土岐さんが選んだ若手の弟子たちでライブをやった。 緊張であまり上手く弾けなかったと記憶しているが、初めて土岐さんと一緒にステージに立てたのは僕には最高の出来事だった。よく年も同じ企画で出させてもらったが、その時はこっぴどく叱られた、あまりにも進歩がなかったからだ。
いつしか土岐さんに気に入られようという感情だけが先走っていたのだ。どんなときも土岐さんは優しく受け入れてくれる、でもそれに甘えている自分がいた。その日に初めて自分の不甲斐なさに泣いた。
気がついた。土岐さんに気に入られる為にやってる音楽ではない、自分がやりたい音楽をしっかり見つけなければと思った。
それから土岐さんとは少し距離をとって自分の音楽を探す方向で活動を続けた、そしていつか自分の音楽を土岐さんに叩きつけようと、それが土岐さんに対する最大の恩返しだと、そう思って今までやってきた。。。。
それはもう叶わなくなってしまったが、僕の音楽を導き育ててくれた偉大な師匠。感謝してもしきれない、もう一度会いたい。。ただもう一度『ガハハハ〜こいつエロと音楽しかないねん!』って言ってほしい。。土岐さんに出会えて本当によかった!!ありがとうございました。
その功績は僕が今更並べ立てるまでもないが、土岐さんが残したその"音"は多くの人の心のどこかに必ず響いているはず。
どうぞ安らかに。
ご冥福をお祈り致します。
2021.6.28 土岐英史氏を偲んで。
森下周央彌